先生とか国語

教育の専門家ではない親は悪い

ゼッタイニ絶対にいじめない?ゼッタイノゼッタイノゼッタイニ

じゃ指切りユビキリ。だからアイスだよなにいってんの、はい、指切り
母と子は小指をからませて、
ユビキリゲンマン、ウソツイタラ、ハリセンず、はい、アイスでしょもうオ、しかたないわね
ノーマソ
ママの作ったホームメイドのアイスキャンディは、特別のおいしさです。ヒロヤがこれほど気に入ってくれているのが、ママには嬉しい限りではあるものの、こんなやりとりで終ってしまっていいものかと、ママはいささか気になりながら、それ以上のいい聞かせようも思いうかばないのでした。歌う調子のやりとりで、わが子の心は、アイスキャンディに向きっぱなし。
いい気な顔で、ペロペロとなめているかと思うと、さっと、走ってどこかへ行ってしまったのでどこへ行くの?
教育は満点を基準にして行なわれる。

中学生の頃からそのようなことを時々もらしていた。


と、あわててお母さんが声をかけたときには、もう姿は見えません。
こういう問いつめ方は、子どもの心の奥の方に、親の思いが噛みあっていく、ないものですね。まるで噛みあっていない歯車の空廻りのよう。
という風にはならこれでは、いじめの問題の解決より、アイスキャンディがやはり先行してもやむを得ない。
心と行いの二重構造を、しっかり見極める

ヒロヤ、私の作ったアイスキャンディ食べる?もうできてると思うのK-·きょう作ったの?やったア!

ちょっと待ってね。ほらほらほら、ハイどうぞ。
「ウーン。おいしい。

 

子どもにほめることも忘れていません。


先生に呼ばれて注意を受けたのよ。

あっ。冷たいツ。ハハハ。へへへと。ウーンカリカリ、わ、おいしそうに食べるウヒロヤ」
ペロペロ

おいしい
よ、ありがとう
おいしい。

ヒロヤ、食べながら聞いて。
母さん、話したいことあるの。
ヨウスケくんの母さんから、聞いた。
ヨウちゃん泣いてたって
ふーん。どうして?
「あ、したたりおちちゃう。受けてあげよう、ほらほら。あやうくセーフ」
ハハハ。パンツ汚れなくて、よかったよかったと、子どもが大人の分別のようないい友よかったよかったと、はずむ調子で、母親も、それに同調。そして基本的に調子を変えずで、アツシくんやヒロヤに、つつかれたり、ひどいことをいわれたって。泣いてたってああ、ヨウスケは、ちっともはっきりしないんだよ

ヨウちゃんがはっきりしなくて、あんたやアツシくんがいらいらするの「そう。仲間に入るンなら、もっとちゃんとやらなきゃ。ヨウスケだって、ね」
子どもに本当の解放感を味わわせてやりたいと願う。

勉強なんだ客観的に事実が判然としていない以上、こういう場合、通りいっぺんにいい聞かすのでは空廻りだし、わが子のいい分だけですべてが理解できたと思ってしまうのも、うわすべりになりますね往々にして、親の前では実にいい子ぶりを通している子が、子ども同士のときは、自分のいい分を通せるとなると、相手を人と思わないで、通したいだけ我を通し、相手の痛みを一向に感じないで平気でいる、ということがありがちです。つまり、いじめですねそういう場合、実は、知らず知らずの間に、うちの子はいい子だという評価を、親からかち得ていて、そのイメージが破れることをおそれているわけで、もし、親から
なんだ、おまえつて、そんな子だったのかと軽蔑されるのがこわくてたまらないのですね。
子供に安らぎを与えることは可能です。
子供に安らぎを与えることは可能です。

子どもに甘い

子どもにしようとしてと同時に、ここが実に微妙なバランスなのですが、そういう子の親というものは、親も親でまた、うちの子はいい子だというイメージが破れることを、子ども以上にこわがっているものなのですね。
親も子も、子のうわべの装いを、うわべのものだと思いたくはない。子の真実の姿と信じ続けたい。
知らず知らずのうちに、いわば、必死の思いになってしまっています。

うちの子に限って!
だから、と絶句し、よそからわが子の思いがけない問題を聞かされたときは、現実をどうにもこうにも認めようとはしないわけです。
親が親が、ひとに向かって、うちの子に限って!といい張ってくれるだろうと信じる限り、子どもは、外でたとえどんなはしたないことをしていようと、親には絶対に知られないように、必死で、とぼけたりごまかしたり、ウソの上塗りを重ねて、親に、外での自分の振る舞いの現実を、隠し通しますねいじめの問題に、大人がなかなか迫っていけないのは、んだ形でがっちりでき上ってしまっているからなのです。
子ども部屋を与えてみてもその部屋を使わず

しつけしだいで決まります。

そういう心の二重構造が、ゆがみ、ひずこの二重構造を破るカギを握っているのは、実は、いじめる側の子どもの、親ですよ。
わが子が、どうやらよその子をいじめているらしいと、聞き及んだとき、これはどうでもと、いじめる子の親が「うちの子に限って、そんなはずはない。それが本当かどうかは、それでは、親自身がしっかり本人に問いただしてみれば、分かることだ!」と気張ってしまったら、もうなかなか現実の二重構造を、解体する作業は、困難ですね。
それができないどころか、いじめは、よそで、家に帰ってきたら、親の前で、もっとけろりと、もっと激しくなっていく場合が多い。
いい子になってねでも本人は二重構造は、いよいよ激しいものになってしまうわけです。
わが子のいじめの現場を見るとか、いい逃れようのない状況をよそからつきつけられたとき、いじめる子の親は、わが子に、腹を立てて裏切り者めというような、罵倒や叱り方を、してしまいがちなのですね。

母さんでいいのでしょう