子ども同士自由な遊びを展開してわれを忘れて夢中

子どもが何か問題を起こせば

子供を脅す必要などありません。
というしそれで、夕方に片付けるときは、どれからどう手をつけたらいいか、子どもでなくても茫然としてしまうほど、家中がショウちゃんの遊びの世界になってしまっているのです。
さて、だから、夕方は、お母さんにとってもショウちゃんにとっても、いやな時間です。

こんなになにもかも出しっぱなしてしまったら、片付けられないでしょう。だから、ひとつずつ出して遊びなさいって。
ひとつ片付けて、ひとつ出して。
きょうこそ手伝わないよ、絶対に。
お父さんや、おじいちゃんが帰ってこられるまでに、きちんと、片付けるのよ。
よ。ねえ、ショウちゃん。どうしてるの。まだ遊んでるの?どうしてるのよさ全部。
ぜーんぶ結局そういいながらも、実際、男の大人どもが帰ってきたら、子どもが叱られるよりも、母親が散々愚痴をこぼされ、しつけが悪いと叱られるのだから、お母さんが、百も文句をいいながら、ほとんど自分で片付けることになってしまいます。

子供の側からすれば
遊ぶときには夢中だったショウくんも、今は遊びの世界の外に出ていて、なんだかまるでやる気がない。ポーンと大玉を投げて、おもちゃ箱へ投げ入れるつもりがはずれて、横の積木のお城にあたって、お城が崩れる。アハハ、と笑って、たちまち投げてものに当てっこのゲームの開始。

片付けるのでしょうがア。
お尻を叩かれて、いつまでなにをしているのよさついに、余計に不満で、そのあたりに寝つころがってしまいます。
「あしたからね。こっちにこれ出して、放りっぱなしにして、あっちであれ出して遊んでたら、こっちのぜーんぶ、母さんが片付けて、戸棚にしまって、出せないようにカギかけてしまうから。
ね、いいわねツー」
そうはいっても、五歳、六歳は、遊びの世界を、いっぱいに展げたい年頃なのですからねえ。
あの遊びへと発展させていく。絵の画きっぱなしの道具も置いておきたこの遊びから連想して、
いし、怪獣がのっしのっしと踏みつぶしていく大都会を、大急ぎで積木や菓子箱で作らなければならない。

母親がいくらいっても聞こうとしないアッオくん

さっき見たテレビのコマーシャルがヒントで、モータープールビルを、この机を活用して、空き箱利用で積みあげて、ミニカー1台ずつきちんと並べて。ところが、ここへ怪獣が来たら、どうなるか。グワワーン。ひっくり返してそのあたり滅茶苦茶。
この絵本、もう見ないのでしょ。片付けるよ

あーあ、あ。だめーツ。触るな!
なによ、偉そうに!片付けるよ
だめーツ!
遊びも片付けもひと流れの愉しいしごとと思わせる
むしろ、展げっぱなすのは、やむを得ないことにして、片付けるということを、うまく誘導した方がいいのですね。
ポイントは。
片付けるとなると、ぴたっとやる気がない。
そこをどうするかの工夫ですね遊びと片付けとを、だと思うのです。

子供にはありのままを教えればよい中学生を通して圧倒的異質の別のものに、親の気分自体が、二分してしまっているのが、問題なの「さあ、これで、あなたの楽しい楽しい、したい放題の遊びは終った。これから、あなたのいやないやな、どうでもしなければならないお片付けをはじめなくてはならないの」といういい方に、遊びはバラ色、片付けは灰色、という区分けで、しっかり色付けされているのですね遊びは発散。片付けは重圧もっとひどくいえば、遊びはとっても明るいことで、子どもの気持において、というより、親の態度が、ですよ。
片付けはなにか暗いこと、というような。
親の顔色にあらわれるその違いに、まず暗示を受けて、子は、ことさらに、うつとおしく強制される労役のように思ってしまうのではありませんか。

練習の足しになりますかむしろ

片付けることを、遊びと片付けを、一色の、ひと流れの、つまり、そのすべてを、遊びの一貫と、見てしまっているという態度を、親自身が、しっかり見せれば、子どもも、それに明るい暗示を受けて、もっともっと片付けるということに、こだわりを持たなくなるのではないでしょうか。
さあ、もうそろそろお片付けよッと、口をとがらせて不服面で、向うから声をかけるのではなくて、「わー、これだけ出して展げたら、片付けるのって、おもしろそう。ほら、このボール、こっちでしょ。ここに、こう入れて、と。

子どもの親だったとき

ショウ、その積み木、グララッと倒してごらん。ウワーーッ。倒れたあ。〈エ、その角に、それを入れると、これがこう入るのか。なるほど。
これはこっちと、それは、ハーイ。そっちへ、これ、渡すよ」
ある時間が来たら、展げるゲームでなくて、片付けるゲームへ。
それもまた、実におもしろいものだと、そんな感じを、お母さんが、体であらわしてしまえば。
いつしか、子どもも、それに乗って、いつしか、手伝ってもらいながらでも、どんどん片付いて子どもにとって、我ながらやるね、といったちょっと誇らしい感じにもなって。

      成長するにつれて算数や理科に苦手意識が芽生える。
      母のふんばりはとつの心的原点になっています。
      指導をしていればこういう事件も防げたのではない


中学生を通して圧倒的 成長するのです。 先生になるのだという自覚もない。