成長の度合い

勉強のためなら夜遅くまで起きていてもかまわない

度を重ねれば、もはや子どもは耐えられる限度を超えているのに、なにを!なにを!と顔をゆがめ歯を喰いしばり、ちらっとこちらに投げた一瞥には、ほんとの憎しみの色がべつ光っていたので、私は息をつめました。

もうやめた!
こちらが、耐えられなくて、この成り行きを中断したのです。
ちぇっと吐きすてるように、こちらを軽蔑して、私には、もうまつわりついて遊ぼうとはせずたったと走って遠ざかったその子の、後姿には、切れた人間関係なんてオレは慣れているのだからなという昂然とした思いがあふれているように見え、呼び返す資格が自分には無いように、私は感じて、茫然と見送っていました。
先生になるのだという自覚もない。

子どもたちにとって私の言動

こう安心できるなごやかさが共有のものになっていなければ、ちょっとした不用意な対応が、本気の対決を引き出してしまいかねない。大人と幼児の間にだって、本気の憎しみあいが、下手をすると現実に起こってしまう。実にこわいものです。
私は、ここで、人間の弱さと、人間の心の尊さについて語っているのだと、思います。
ちょっと悪いことをしたので、罰してやろうと、父親が叩いた。叩き方がひどくて、んとにどうされるやら分からない、という気になって、本気で身構えた。
子どもはほその子どもの本気さが、親を、真実、憎んでいるように見えたので、親は殺気立ち、親として、どうでも子を制圧すべきだと考えてしまい、熱い湯のお風呂の中に子を入れ、あやまるまで、出てはならんと申し渡した。子は、あやまらない。あやまるどころか、その目は本気で親を憎んでいるどうかしなければ、とうろたえた親は、風呂をもっと熱くたいて、これでもあやまらんか、と、親にあやまることを強要しているうちに、そこまですさまじい思いをさせる子に、親が本気の憎しみを抱いてしまっているのだった。

 

学校でも積極的にクラスの空気に溶けこむよう


小学校のときに教師

ひどい非人間的状況のなかでは、よりひどい非人間的感情が湧いて出るのですねどんどん湯を熱くしてしまったお風呂の中で、子がぐったりしたので、あげてみたときには、すでに全身が熱湯で大やけど。
気を失ったまま、ついに閉じた目を開けることがなかった。
実際に、そういう事件があったのでした。
罰を与えるという対処のしかたのこわい成り行き
なにか悪いことをするたびに、こらしめに罰を与える、というのは、心貧しい育て方だと、私は思います。
子どもの喜び、悲しみが、親に伝わり、ワッ、ることができ、また逆に、親の喜び、悲しみが、いるのだなと、親が確信できる。
伝わっているのだと、子が確信を持って安心す子にも伝わり、親も子を見れば、ああ、伝わってそういう関係が成立してさえいれば、もし、子がなにかでしくじったり、たときに、ちょっとした注意喚起のための、親のひと声、つまり少しはずれたことをし
ああ、ヨースケ。
子どもなのにどうして小さいのでしょう

子どもが曲がったなと感じたら親しくじったね!
というような、さりげなくしっかりした声のかけ方だけで、子どもは、ボクのしくじりが、ボク自身にとって、どれほど残念かを、親はちゃんと分かってくれているのだ。
ありがとう。
ボク、やり直すことができるから
と思う。いかに子が幼くても、き起こさせることになるのです。
しくじりの反省の上に立った、やり直しの意欲というものを、湧決まりきったパターンになっていて、子がなにか悪いことをしたら、おしおきや罰を与える、ということを繰り返していれば、子はいつしか、罰せられるたびに、心のなかで、しまったしまった。どうしてこう簡単にばれるような、こんなまずいことばかりをやっているのだろうと、苦々しく後悔することになり、あつたりするのですねもっとひどいことを、もっと巧妙にやるようになるだけで
すると、親は
ああ、罰が弱かったのだ。もっと罰しなければ、自分の悪いことに気づかないのだと思い込み、今度また悪いことをすると、もう、これどころでは済まないぞと、そのたびごとにエスカレートする悪さもひどくなり、罰もひどくなり。
いじめませんっていわなきゃ
いじめませんっていわなきゃ

子どもについてあれこれと考えてきました。

教育というのは皆無だったけれど悪さが巧妙になればなるほど、罰もくどくなり……。
そんな形で、子どもの時代を過ごした大人は罰は大切といい切りますね。
叩くなどという罰し方が、この先、まだまだ無くなりはしないのでしょう。
こわい……。
わが子をほめるのが、カ下手
ほめる以前に自分の気持を素直に表現してみる
「子どもを叱ることが多いですか、叱ることの方が多いのですね。
お母さん方の集まりで、ほめることの方が多いですか」
と尋ねると、どうやらたいていは、わが子をほめるのは、どうも苦手で……
と、困った顔をするお母さんを見ると、概して、普段の暮しのなかで、ものが、もともと得意ではないのだと思われるのです。
子どもを抱き込み続けて

教育というのはものを覚えさせることだけではない心

素直な感情の表現というそういうお母さんには、私は、「とにもかくにも、子どもの前で、自分の気持を、ことばにするということを、もっともっと普通のことだと思うように、慣れていけば」と提案し「子どもを見ると、ほめるか叱るか、どっちにしようか、とばかり思わずに、ほめるのでもなく叱るのでもなく、とにかくさらりと、気持を表現するのです」
と、助言します。
慣れると、ひとことのことばのなかに、気持が自然にこもるようになりますからね。

子供の性格に合

成長するのです。

母さんがおっしゃったことばを覚えていらっ伺います

母親から怖がられて非難されて
大人の小さくなった消しゴム、散らかった小片。椅子が動いていて歩き廻った形跡舞い落ちている白紙の宿題。さっと状況を察して、母親は、どうしてさっと宿題のプリント1枚ができないのとあせって咎めてしまわずに、心の中で、ゆとり、ゆとり。こんな風に思ってやる。
あふれてくるのね。
この子、好奇心の天使が心のああ、したいこと、感じたいことが、中に住んでいるのだわ、きっとと。
次々と、その天使があばれ廻って、中から突き動かしているのだわ。この子自身が、い思いも持っているに違いないと。

いじめをしていた陽太も正真正銘の本当の陽太
そう思ってやるのですよ、この一瞬に。
おそらくやりきれなそして、アハハハとはじめ快活に、おもしろくての笑いだのにやがて子のやりきれなさに添うていくいささか情ない苦笑いに転じて。そのお母さんの笑いの変化。子ども、聴くよそして、さっと。さっと。静かに真顔に戻ってハイッと、落ちたプリントに目をやったら、その真顔さに魅かれたケンイチは、思わず誘導されて動くロボットさながら、母親の意図の通りに、プリントを拾って、咎める、けなす、あせる、ただただ、親がさっさと、机の上に広げなおすでしょう。

子ども自身も身体

いらだつ、罵倒機敏でイキがよければし抜く。.。....一切要らないですね、こういうとき。
すっと突っ立って、脇から、ケンイチの広げたプリントに、て、母親の視点が、プリントから動かない。
シャキッと焦点を合わせて、見つめ48まだまとまりの湧いて来ないケンイチは、横にじっと動かないお母さんが気になって、すぐ目の横のスカートから白いブラウスの胸。その上の鼻の穴が二つ黒々に見えて、その上の目。お母さんの目が一点に注がれている。動かない目線をたどると、自分の前に広げたプリントの、最初のリンカンガッコウというカタカナ。ア、
林間学校だよな。ぐっと強く鉛筆を握っていて、ケンイチは、白いマス目ひとつひとつに、林.]……と書き入れていく。次はなにななんだ青空じゃないか。こんなの書けるよ。シンブンシ?新聞紙だよな。

中学二年だ母親というのが特別ではなくなっている様子です。お母さんの心と体のエネルギーが、すーっとプリントを見つめる、というひとつのしごとに集中しているのをケンイチくんは、体全体で感じて受けて、するといつしか、考えが湧くというよりも、気持がついそちらに集中し、たちまちのうちに、書き取りの宿題にその一瞬、没頭してしまっているってわけ。
で、やり終って途端に、お母さんが、ぐたぐたと文句をいうかと思いきや、全く、反対アオゾラ?

おツ。ケンの早技ツ。やる13と、明るく風船が裂けたようにいったので、つい、ケンイチくんも、テンポに乗って、
算数だって、オレのハヤワザーッ!と叫んで、椅子の上に一度上って、ぽいんと飛び降りて、カバンの中から、算数の教科書とノートを出して来て、あっという間に、算数も勢いづいて、に気をつけて
集中の流れに入ったのを見て、お母さんは、
外に出たらば、信号、信号。

父親にあこがれた。

赤信号と歌うようにいいながら、台所の方へ戻りはじめ、するとケンイチは、「そんなことは、あと、あと、まだあと。ほら、3のは、24掛ける15と。これを足すんだ。ええとえぇっと、えっとえっと。ほいほいこれででき上り。なに?ソガくんは、買いものに行きました?ああ、まず最初に、足しちゃえば、と。そして、ね。ほらりほらほらちらほらリチさーん」
にわかに大声で、母親に声を向け
もうあと、ね、三題で終り!

両親や教師

いつの間に、またこちらへ来ていたのか、やるときややるんだ、なア、セガレ
すぐ脇で、お母さんが、と侍のセリフじみていえば、ケンイチもその気になって、う、ハハウエドノー
と返します
遊びが遊びを生んでいつも部屋中いっぱい
うつとおしくいって聞かすと、いって聞かせた内容は、少しも伝わらないで、うつとおしさだけが、確実に伝わってしまう、やる気のない子に向かって、ということ。
大いにあるのですね親のやっていることって、ほとんどそればかりみたい。
次に、ショウちゃんは六歳。幼稚園から帰って来ると、とてもじっとはしていません。もう、夢中に遊んで、いつの間にか、こっちに怪獣がいっぱい。向うにミニカーが全部並んでいる。絵本はあっちこっちに開いたまンま。お父さんの部屋の中まで電車の線路は入り込んでいます。
お母さんは、ひとつの遊びをしたら、ちゃんと片付けてから、次の遊びへ入っていく、つけを、どうでもしたくてならないのですが、いくらいっても、聞こうとしません。

      高校生がわ
      母さんは何もわかっていないくせに…
      教育のためなら何でもすると親たちは言う。


母親というのが特別ではなくなっている様子です。 子どもを抱き込み続けて 子どもなのにどうして小さいのでしょう