先生になるのだという自覚もない。

しつけをするのはきちんとした着物を縫うためです。

幼稚園における幼児の行動を観察した研究による
それが、第一反抗期の意味なのです。
でも、それでは結局、いっときの満足で、いつまでもの満足にはならない、という、てしまえば、なんでもいやの時期は、やがて、自然と終ってしまうものです。
学習ができなんでもいやという子を、大変だ、素直な返事をさせようとやっきになれば、こんなわがまま、放っておけないと思い、なんとかして子どもは逆に、いよいよ反抗的になりかねません。
そういうとき、子どもが、いやとまたしてもいうのを聞いて、
なんと憎らしいと思うでしょう。でも、わが子を憎らしい!

教育熱とやらもまゆつばものである。
と思ってしまえば、子育ては、たちまち浅瀬に乗りあげて、
順調な航海が到底続けられないということになりますねなんでもいや
えなきゃ。そして、というのを見ていて、わー、まさに反抗期。順調な育ち友いや!に対する、大人の対応のしかたを、工夫しなきゃあ。
可愛い!
と思
素直さを、うまく引き出していくためには
さあ、ごはんよーと思わず、食事の準備ができたので、キョウイチを呼ぶと食べないもン!と、今はまさに反抗期の、例の反対ことばが返ってきました。
このとき、どうして食べないのよ!と、いらだったりすると、だって食べないもん!と、反対のための反対が、もっと勢いよく返ってきます。
ほんとうに、食べないのね!?

個性を包含

と、お母さんがいらだっていいます。反復的にキョウイチは、
ほんとうに、食べないよー!
それじゃ、片付けてしまうよ。いいのね!
いいよーと、反射的に答えたものの、反抗のおもしろい時期だから、つい反射的に反抗しているわけで、本当におなかがすいていなくて、絶対に食べられないから食べたくないというわけでもないため、いいよ!ということばが、今や、すこーし、うつろです。それで、ついお母さんが、見透かしたように、バカにしたように
ほんとうは、おなかがすいてるンじゃないのよ。強がりばかりいって。どうして反対ばかりいうのよこんな質問は、心理学者にすべきですよ。子どもに答えさせるのは無理。

子どもをほめることが苦手という人子ども同士自由な遊びを展開してわれを忘れて夢中反抗期の意味を、子どもが解説できるわけがない。
素直じゃないわね。もとのキョウイチはどこへ行ってしまったのよキョウイチは、ここにいますよ今、目の前のキョウイチが、もとのキョウイチですよ。母親がそんな変なことをいったら、反抗期の反対の真っ只中で、子どもが不安になるばかり
ねえ、お願いだから、ご飯を食べてよ。親に従いなさい。もっと素直に。
ほんとに片付けるわよ。いいのね。いいのね。あとでほしい、食べるったって、ねえ、もう食べさせないからね。
いいのね子どもは、もはや引きつった声でいいよ。

学校なのだ

片付けていいよ。食べないでいいよ
なんだか気持の奥を認めてもらえない不満が、そうして反対をし続けながらも、つのる一方。

もう。冗談はよしなさい。ほんとに片付けてしまったら、困るのはキョウイチでしょうが冗談じゃないよ!冗談いうな!これは、子どもの本気の叫び声!なにいってンのよ。あンたが、冗談でしょうが!親は、子の叫びの真意が分からないやかましいワイ
まあ、四歳で、親に反抗!

いうな!なんにも!!

いわせるのは、だれなのよ。今頃から、こんなにわがままでは先が思いやられる!
それこそ、親がこんな対応を繰り返していたら、先が、まさに思いやられます反抗期の子どもの反抗には、もっとあっけらかんと、対応するのです。
さあ、ご飯よー

食べないもああ!

育てられます。

キョウイチ、食べないのかね

ああ、食べないも食べないのなら、しかたがないわねこれは、皮肉でなく、しっとり自然に、食べないもン、ね
じゃ、とりあえず、片付けるといったかと思うと、親は、思い入れも、素直にしっかり
ためらいもなく、さらさらと、お茶碗を片付け、おなべを片付け、すべて片付け、といった向きへの動き。
それを見て、それこそ、その動きに対して、さっと機敏に、親の行いへの新たな反対行動をとら
なければ、と、さっと反応するわけ。
身も心も、お茶碗を片付けようとそちらを向いている脇のところに、お母さんが、いつの間にかキョウイチくん、きちんと坐っていておハシ、ないじゃないか!
といっています。

      子どもについての相談を受けたときに私
      先生自分の息子は本当にかわいいと思う。
      母の姿を現した面があります。


子ども同士自由な遊びを展開してわれを忘れて夢中 母親というのが特別ではなくなっている様子です。 中学生と福岡県

成長するのです。

母さんがおっしゃったことばを覚えていらっ伺います

母親から怖がられて非難されて
大人の小さくなった消しゴム、散らかった小片。椅子が動いていて歩き廻った形跡舞い落ちている白紙の宿題。さっと状況を察して、母親は、どうしてさっと宿題のプリント1枚ができないのとあせって咎めてしまわずに、心の中で、ゆとり、ゆとり。こんな風に思ってやる。
あふれてくるのね。
この子、好奇心の天使が心のああ、したいこと、感じたいことが、中に住んでいるのだわ、きっとと。
次々と、その天使があばれ廻って、中から突き動かしているのだわ。この子自身が、い思いも持っているに違いないと。

いじめをしていた陽太も正真正銘の本当の陽太
そう思ってやるのですよ、この一瞬に。
おそらくやりきれなそして、アハハハとはじめ快活に、おもしろくての笑いだのにやがて子のやりきれなさに添うていくいささか情ない苦笑いに転じて。そのお母さんの笑いの変化。子ども、聴くよそして、さっと。さっと。静かに真顔に戻ってハイッと、落ちたプリントに目をやったら、その真顔さに魅かれたケンイチは、思わず誘導されて動くロボットさながら、母親の意図の通りに、プリントを拾って、咎める、けなす、あせる、ただただ、親がさっさと、机の上に広げなおすでしょう。

子ども自身も身体

いらだつ、罵倒機敏でイキがよければし抜く。.。....一切要らないですね、こういうとき。
すっと突っ立って、脇から、ケンイチの広げたプリントに、て、母親の視点が、プリントから動かない。
シャキッと焦点を合わせて、見つめ48まだまとまりの湧いて来ないケンイチは、横にじっと動かないお母さんが気になって、すぐ目の横のスカートから白いブラウスの胸。その上の鼻の穴が二つ黒々に見えて、その上の目。お母さんの目が一点に注がれている。動かない目線をたどると、自分の前に広げたプリントの、最初のリンカンガッコウというカタカナ。ア、
林間学校だよな。ぐっと強く鉛筆を握っていて、ケンイチは、白いマス目ひとつひとつに、林.]……と書き入れていく。次はなにななんだ青空じゃないか。こんなの書けるよ。シンブンシ?新聞紙だよな。

中学二年だ母親というのが特別ではなくなっている様子です。お母さんの心と体のエネルギーが、すーっとプリントを見つめる、というひとつのしごとに集中しているのをケンイチくんは、体全体で感じて受けて、するといつしか、考えが湧くというよりも、気持がついそちらに集中し、たちまちのうちに、書き取りの宿題にその一瞬、没頭してしまっているってわけ。
で、やり終って途端に、お母さんが、ぐたぐたと文句をいうかと思いきや、全く、反対アオゾラ?

おツ。ケンの早技ツ。やる13と、明るく風船が裂けたようにいったので、つい、ケンイチくんも、テンポに乗って、
算数だって、オレのハヤワザーッ!と叫んで、椅子の上に一度上って、ぽいんと飛び降りて、カバンの中から、算数の教科書とノートを出して来て、あっという間に、算数も勢いづいて、に気をつけて
集中の流れに入ったのを見て、お母さんは、
外に出たらば、信号、信号。

父親にあこがれた。

赤信号と歌うようにいいながら、台所の方へ戻りはじめ、するとケンイチは、「そんなことは、あと、あと、まだあと。ほら、3のは、24掛ける15と。これを足すんだ。ええとえぇっと、えっとえっと。ほいほいこれででき上り。なに?ソガくんは、買いものに行きました?ああ、まず最初に、足しちゃえば、と。そして、ね。ほらりほらほらちらほらリチさーん」
にわかに大声で、母親に声を向け
もうあと、ね、三題で終り!

両親や教師

いつの間に、またこちらへ来ていたのか、やるときややるんだ、なア、セガレ
すぐ脇で、お母さんが、と侍のセリフじみていえば、ケンイチもその気になって、う、ハハウエドノー
と返します
遊びが遊びを生んでいつも部屋中いっぱい
うつとおしくいって聞かすと、いって聞かせた内容は、少しも伝わらないで、うつとおしさだけが、確実に伝わってしまう、やる気のない子に向かって、ということ。
大いにあるのですね親のやっていることって、ほとんどそればかりみたい。
次に、ショウちゃんは六歳。幼稚園から帰って来ると、とてもじっとはしていません。もう、夢中に遊んで、いつの間にか、こっちに怪獣がいっぱい。向うにミニカーが全部並んでいる。絵本はあっちこっちに開いたまンま。お父さんの部屋の中まで電車の線路は入り込んでいます。
お母さんは、ひとつの遊びをしたら、ちゃんと片付けてから、次の遊びへ入っていく、つけを、どうでもしたくてならないのですが、いくらいっても、聞こうとしません。

      高校生がわ
      母さんは何もわかっていないくせに…
      教育のためなら何でもすると親たちは言う。


母親というのが特別ではなくなっている様子です。 子どもを抱き込み続けて 子どもなのにどうして小さいのでしょう

母親というのが特別ではなくなっている様子です。

高校時代をこれから過ごすのですか?

それは、子どもの心ただし、その違いを、ことばで子どもがこう違うよなどと、説明してくれるのであれば、だれにも分かりやすいのに、そうではないので、見過ごしてしまう大人は、平気で見過ごしてしまいます。
いや、大人が見過ごすというよりも、子ども自身が、しっかりと、自分がそういう見分けをしているのだということを、気づいてはいないのですからねえ。意識していない。無意識のうちに、自覚しないでやってしまうことですからね
うん、上手よ。ヒロコ、その調子でやればいいのだからね。しっかりお片付けなったわねぇ。やっぱり、あのお人形のドレッサー、買ってあげようかな?
できるように「ええ?買って買って。お片付けもっともっと、ちゃんとやるようにするから」

ほんとうかな?!
ほんとうほんと?
ほんとにほんと
そうかな?
子どもだけではありません。

子供では親のペットでも愛玩物でよくないのです。

ミコちゃんやチコちゃん人形の名、喜んじゃうよ。わーいわい

買ってあげる代りに、するよ、するする
毎日、ママがいわなくとも、お片付けは自分でするのよ
と、そうはいっておいても、買ってやるべきものを買ってやって、子どもは大いに喜んで、二、三日は、ほんとにいわれずとも、遊んだあとは、しっかり片付けたのに、四日、五日目は、もう元通り、出したものが部屋にいっぱいで、散らかしっぱなし。
ヒロコ。だめじゃないの。
ないわねえ

お片付けは、ちゃんとするって、あれだけ約束したのに、ちっともし「だって、ミコちゃんと、チコちゃんが、イモウトがほしいっていってるよ」

なにぃってんのよ。お人形は、もう二つでいいの。もう買わない!
だったら、お部屋のお片付けはしないからね

 

母親に反抗するわけです。


育てるここまで思い

「ちょっとヒロコ、なにぃってんのよ。ドレッサーを買ってあげる代りに、お片付けするって、ヒロコ、ちゃんと、そう約束したのよ」

だって、お人形買ってくれないもそうじゃないって、いうのに
だって、買って。ミコとチコの妹がいるのよ。どうしても

だったら、ほんとに、今度こそ、お片付けを続けるっていうの?

するする、絶対する。ゼッタイなんだか、変な成り行きですね。それを、変だと分からせようとする難しさ。
子ども同士自由な遊びを展開してわれを忘れて夢中

子ども部屋を与えることが多くなっています。ほめる、ということ、と、なにか良いことをするとほうびをあげる、ということとは、同じではありません。
ほうびとなると、なんだか、このような、事のもつれが起こりがちです。
というのは、悪いことをしたら罰を、良いことをしたら賞を、ないやり方だと、私には思われてなりません。
幼い子どもに対して、してはなら
善悪の判断の強制よりも、快と不快の共感をこそ
賞と罰、つまり、ごほうびと、おしおきは、なぜ必要がないか、と、私が思っているのかというと、罰がこわくて、悪いことをしないとか、賞がほしくて良いことをしたいとかいうことでは、んとうの良い悪いの感覚は育たないからです。
子どもにして
子どもにして

母性に対する考え方

学校でも帰ってほご飯を食べたあと、流しに、お茶碗などを、タツオは、せっせと運びました。

あら、いわないうちに、運んでくれたの?

だったら、代りになに?ごほうびはそうね。じゃあ、クッキーを三枚、にしようか

じゃ、今すぐ食べていいんでしょ
だめ、ご飯のあとはだめよ。一時間してからにしなさいだって
だってじゃないのよ。我慢することを覚えなくてはソンしちゃった。
チェッ

なんだか、子どものうちから、親と子で、あれがだめなら、代りにこれ、といったやりとり、つまり、かけひきばかりを展開していては、良い悪いではなくて、損か得かの感覚だけが身についてしまうことになりそうです。
善悪と、損得とは、別の感覚だということを、の豊かさ貧しさに、ひびいてきますねうまく分からせないと、あとあとで、子どもの心だから、ほめるということに、ごほうび、つまり、景品をつけてはならないのですよ。
子どもだけではありません。

小学校という公立

ところで、一般に、たとえば、大学は理科系を出て、先端の技術にたずさわるエンジニアであるという父親のなかにも、子どもに、善悪の判断をつける際は、いわゆる倫理とか道徳とかという、人の道に関することだから、とにかく理屈抜きに、これは良いこれは悪いと、判断を示してやって、
それに従わすべきだと考えている人が意外と多いものです。
ほうびでつる、というのも、いうのも問題だと思いますね。
問題だし、かといって、文句なしに、叩き込んで身につけさせるとしごとの方の工学技術などに関しては、実に合理的で、科学的な考えを展開することのできる人が、いわゆる人の道とかのことについては、超合理というか逆に没合理というか、問答無用ととらえるのは、なんだかナンセンスです。

成長に合わせて増えていきます。

勉強しているのであって

母親の態度

とにかく、いうことが耳に入らないようなのですね、マサトは。
お母さんの前を、マサトがうんこらうんこらと、客用の座ブトンを運んで行きます。

どうしたの。それ、どうするの?
また、なにごと?と気色ばんで、さんなんか、完全無視なのです。
繰り返して尋ねる前を、彼は平気で横切って行きます。
お母座敷で洗濯ものをたたんでいたお母さんが、一髪というところでした。
あわてて後ろからついて行ってよかった。
まさに間裏の縁先から、すぐ下の地面においてある、水の入った子ども用のビニールプールへ、と運んだ客用の麻の座ブトン11枚を、まさに投げ込もうとしているのでした。
うんしょ
いったい、……お母さんは、なにかから連想した遊びのイメージがあるのでしょう。
どういうつもり?
座ブトンの端を掴んで、叫びます。
またまたマサトくんの頭には、そうです、きっとそう。先夜、テレビでやってた、温泉めぐりのハチャメチャ番組。確かにそれで、頭にタオルの鉢巻きをしたハダカのおじさんが、座ブトンみたいな四角い浮きのまん中にでんと坐り、大浴槽の湯の上で、酒を呑んでいた、そんなシーンがあった。
成長するのです。

両親で話し合って

ふと自分もそれがやってみたかったのに違いありません。
まわりが、二重になったふくらみで、重ねたように見えたのですから。
あのテレビに映っていた浮きは、確かに二枚の座ブトンをお母さんは、もう泣きたくなっちゃいます。
お父さんに叱ってもらうからね!
ヘッヘッヘ、ハハハハ、と笑われ、母親の権威なんて、全く形なしです。
父親の前ではとってつけたような、殊勝な縮こまりの態度
ところが、お父さんの前では、マサトは別の子になりますだって、お父さんは、お母さんの請負いしごとで、とにかく怒り屋専業です。

 

先生は女性である。


子どもに対するカウンセラーとして

一杯呑んだあと、大口をあけて楊子をつかいながら、こわいのだから。
マサト、こっちへおいでマサトはその一語が響くだけで、首がびびびびッとすく電流でも通じているのかと思うほど、みます。
どうなんだ、いったい
ゴメンナサイ

ごめんなさいっていつもいつも、この繰り返しじゃないか。今日は、なにをした!?

モウ、シマセ。ゴメ.ナサイ!
お母さんを困らせて、それでいいと思っているのかバシーン
,食卓を父さんが叩きます。
一度、びしばしと、右へ左へ叩き倒されたときは、すごかった。
マサトは、きゅーっと体を縮めて、小さくなって、息をつめています。
横から無念極まりなしという声で母親がなじります。
「いくらこうして父さんにいわれても、ちっとも変らないんだから。
るのかしら。もっともっと叱っておいてよ」
アディダスジャージのサイズ

子供の性格ということが大きいのですこの子、いったいどうなってちらっと上目遣いで父親を眺め、父親の反応があらわれる前に、速さで、ゴメンナサイツとマサトが、絞り出すように叫びます。
飛びしがるように機先を制する
でも、ほんとに、習慣になってしまっているのですね父親の前では、とってつけたような殊勝な縮こまりの態度母親だけの昼間は、思いついたことを思いついたようにし抜いて、親の注意など全く耳を貸さな邪鬼さながらのしたい放題母親は嘆いてなじって、い、おろおろ子の後について。
子どもに振られっ放し。
実質とにかくこのパターンにはまって、日が過ぎてきてしまっているのだから、子どもだってそれでよしと、よくよく頭で考えて、そうしているわけなんかではなくて、とにもかくにも、一日過ぎてみれば、きのうもきょうも、そういう毎日だった、ということなのですね
また、マサトったら、きょうもなのよ、
ようし、マサト、こっちへおいでゴメンナサイツ
お父さん
という、このパターンを、親の方で、ひとつ、どうでも取り止める覚悟をしなければ。
子どもには非常にそれを感ずる心があるのです。
子どもには非常にそれを感ずる心があるのです。

指導することすなわち

子どもであればとくこれでは、心にしみ込むことばというものを、一度も味わわないままで、自分の不用意な、したい放題の習性から抜け出せないまま、大きくなってしまいます。
ことばは、
ねえ、心を運ぶものでなくてはなりません。
父さん、この頃、マサト、違うのよ。
ほんとのマサト自身が、見えてきてるのそういういい方を、パターンにしてしまったらどうかなァ。
そして、昼間の、したい放題のだめなことは、できるだけ、父親に、母親自身が、効き目があろうとなかろうと、自分で叱ってやる。
できる限り訴えることはよす子どもの、け出す目配り。
育てってこんなに大変なものだとは思わなかった。

個性を十分

ちょっとしたよいところ、前向きのところ、クールなひらめき、などを、うまく見つこれが、子育ての重要なポイントでしてねえ。
で、お父さんに、いってやるのです。
「ちょっとうっかりして、アユミのミルク、熱かったのね。
アユミをあやしてくれたの。
で一口吸って泣き出したわけ。
マサト、すると、マサト、ベロベロべエーッて、やさしい」
「ほう、アニキだなア、早く一緒につきあえよ。
やっぱり、マサト。おまえ、早く大きくなれや。大きくなって、男の子の育つの、やっぱりオヤジとしては、楽しみだなア」
オレの酒「ア、それ、おショーユでしょ。母さん。おショーユ。父さんに、ぼく持って行ってあげる」

父親に対して次第に反抗するようになりました。

子どもに依存性を養います。

母は有名な女子大を出ていて

子どもの人間形成に大きな影響を与えます。
片付けるつもりなら、食べてやる、という反対行動なのですよこういうとき、ける気になって、反抗期の意味のあまり理解できていない親は、子どもの意識に大まじめに働きか「あらら、なんて、キョウイチ、食べないのでしょ。おハシって、なによ。片付けるのよ」
ちょっと、バカにした、上からの優越的なあざ笑いの声でいえば、それにこそ、反対せずにはおれなくなって、せっかくそこに坐っていたキョウイチが、自尊心を傷つけられ、
食べないよう。
食べないンだからな。
絶対食べてやンないからな!
と、もはや恨みの色さえ見せて、すっかり気持がこじれてしまいかねないのですねガチャンと、その辺の倒れやすいものを倒したり、腹いせになにかしないではおれません。

高校に進みました。
それにまた、親がむきになり、どうして、そんなもの、倒すの!?と、訊いてもどうしようもない質問を、幼児に対して発し、親自身も、子に負けないくらい腹が立つのが、だめ。
そんな下手なことにならずに、もっと素直に対してやるのですね。
おハシ、ないじゃないか
ああ、おハシおハツ。はい、おハシ。はい
子どもは引ったくるように、母親の差し出したハシをとり、無言で食べにかかる。
食べたくないときに食べるのは、食べにくいのよと、子の立場をフォローしてやれば食べたいから、食べるソだもンと、まだ、子は、それにも反対しています。

それじゃたくさん食べなさいとはいわないで、「ああ、食べたいのなら、ちょっと量が少なすぎたかな。足りないかも知れないな。

学校でも毎日このくらいの欠席者がいます。

おまえ、おなかがすいてるらしいから。
困ったね」
こんなぐらいだとし
足りないよ、どこまでも、おなかがいっぱいになったら、反対反対。
そこでOK。
とはいいながら、本人は平気平然いうほどには全部食べなくても、
なによ。足りないって。結構残したじゃないのなんて、そこで、親がいうから、それじゃ、もっと食べてやるなんて、いらぬ反発を誘いだしてしまうのです。
そんな反発は、誘いださないで。
反抗期のわがままは終ったか。

手伝ってはくれないでしょ。
ねじくれた性格のせいではない「さあ、じゃあ、食べたあとは、片付け、片付け。
キョウイチは、とてもじゃないが、いいわいいわ」

勉強もお稽古事も競争ではないのです育てた人の書いたもののほうぼくが、片付けるもンまた、これも反対反対ハイ、お茶碗は、そこよ。お皿は、そっちの方
反対反対反対のうちに、ご飯は食べておなかはくちくなって、つっぱりが通りながら、自分から、気持も通じているようで、母さんを手伝ってしまったりして。
すると、テーブルだって、汚くしたら、タメなんだよと、いかつい顔して、食卓を拭いています。
「そのフキン、ちょっと大きいからキョウイチ、うまく拭けないでしょ」
r拭けるもテーブル、大きいから、向う、届かないでしょう
届くもンといって、向うへ廻って椅子に上って、懸命に拭いています。
ああ、キョウイチ、大きくなったんだねえと、感に耐えず、思わずそう声に出すと、椅子の上
フンと、鼻をならしたあと、えいっと、向うの部屋へ遊びに走っていきました。
床にとびおりて、で胸をそらして、も発散しきって、実に大胆風に、心も体我意を通し抜きたい、と頑張るのが、反抗期のあり方なのですねその意味を、あらかじめ、よく理解できていさえすれば、子どもに、反抗期に味わうべき心の充実を、充分に味わわせてやりながら、次の時期へと脱していく子どもの成長を、んと可愛い!と賛嘆しながら、見守っていてやれる、というわけです。

子どもと二人になると何を話したらいいのかわからず

目を細めて、
な反抗期のわがままを、この子のねじくれた性格の故だと曲解し、なんとしても親の力で治しておかないと、一生このねじくれたままでは大変だ、とばかりに、きかなければ痛い目できかそうなどと、親が力んで頑張り過ぎて、そのためにかえって、子どもの心を、ねじくれさせてしまう、などという間違いが、世間には少なくないようですねまた反対に、親が厳しくしゃんとし過ぎていて、子は萎縮して反抗期のないままに育ってしまうのも、思春期以後に、その反動があらわれて、大変なことになったりするものなのです。
わがままが過ぎたらそのあとに必ず反動がくる
わがままを通したい気になったときには、まさにわがままを通すことに、勝利の快感に酔うでしょう。
なんだか、わがままな子は、一心になり、わがままが通ったときには、やったァ
とそれこそ、ひとたびわがままが通ってしまったとなると、なぜだか、やるせないのでところが、すそんなはずのなかった不満感が、人を押しのけて、我意を通して、心に残っているのです。

勉強机とはいえちゃなはずです実際に入っている中身

自分はそれでよしと思うものの、それによって、まわりがなんとなく、こっちを快く思っていない。それが、気にするまいと思っても、気になってしまうからですね。なにもかも、これでよし、という充実の思いが味わえない。いわば、不全感が拭いがたい。
「あんたは、そんな風にわがままを通したのだから、さぞかし気持がいいでしょう。でも、お母さんは、もう、たまらないのだからね。ほんとにもう。そんなに無駄なことで、あんなお金をつかってしまったら、なにもかも計算違いなのよ。ほんとに、よくやってくれるわ」
というような、母親の愚痴を聞かされると、
へへへ、どんなもンだい。

      子ども調査研究所代表の高山英夫さんの随筆
      父親をけなして
      子供は立つ瀬がありません。


育てた人の書いたもののほう 子どもに依存性を養います。 子どもに依存性を養います。