子どもを抱き込み続けて

学習の場が激減して中での生活を強いられる。

父さん、こうして、マサト、すごく気がつくのよ。どう?私の子よ
なにいってる。オレの子だよ、なア、マサト
ハハハ、へへへ。みんながそれぞれ笑っている。
こんなパターンを、少しずつつくってしまうことですね自分がよくよく認められている、という気持で、暖かく支えられると、これまでのしたい放題がだんだん影をひそめてくるものです。
ことばが、ぬくもりを、心から心へ届ける。ことばの力を、しっかり活用するくせを身につけなければ。ことばを選びそこねると、逆にこわばりやこだわりばかりを、ことばは心から心へ届けることになってしまうわけです。
受け取るのが快くないものは、いくら届いても、はねつけあうばかりになるでしょう。
中学生と福岡県

父親をののしりながらど

親の誤解から、大人と子どもの本気の対決がはじまってしまう
押してだめなら引いてみなと俗にいうように、親と子の関係でも、まずいパターンにはまり込んでいて、どうにもならないのに、そのパターンからはずれてみるという工夫を思いつかずに、押してだめならもっと押せとばかりに、無理を強いて、子どもの心を壊してしまうことって、あるのですよ。
押してだめならもっと押せ、で子どもの片意地を強くするだけ、ということがよくあります
ら頃、幼児虐待の事件が、マスコミでも報じられますが、で死に至らしめてしまうことだって、起こっているのですね。
ひどいのは、わが子を過酷な仕打ちもとからわが子が憎くて、そんなことになるわけではありません。
つまり、子どもをよくしよう、と願ってのことばには違いないのに、心にぬくもりを届けてやれない親のことばは、子が、平気でそれを無視したり、反発したりするのです。

 

母親の権威なんて全く形なしです。


いじめっ子のいない通りを拾って歩くよく

その無視や反発を、心にゆとりのない親は、反発している、と、取り違えるわけです。
ストレートに、わが子が親そのものを無視しているそのときその場の、ことばへの反応なのに、親の人間そのものへの反応だと早とちりするのですよ。すると、思わず、親は子を、つい、憎らしいと思ってしまうのですね子は、そのときその場の、親の、まずいことばや態度ややり方に、うとましいと思うことはあっても、親そのものを、うとましいなんて思ったことがない。だのに、親そのものを、子がうとましいと思っていると、親が誤解したところから、とんでもない悲劇が進行するのです。
安心できる愛情豊かな環境に育った子どもと、いつも身構えてわが身を守らねばならないゆとりのない環境で育った子どもとを、なにげなく接して比較してみると、随分と両者の、日頃の対人関係のパターンが違うわけです。
赤ちゃん写真先生になる

母と子で絵を描くひとの家ということだけでわたとえば、ごく普通の家庭で育った近所の子どもと接していて、子どもの悪ふざけがちょっと強すぎるのでした。大人の方が、やめなさい、といっても、ふざけきっているので、なかなかやめない。そんなにいってもやめないのならと、こちらが腕を掴まえ、
よーし、これでもかと、少しばかり子どもの腕をねじあげたら、ごめんごめん、しないしないと相手の子どもは降参します。それで、ふざけの始末が一応つくというものです。
子どもに憎むような目付きを投げても、それはもちろん本気でなく、腕をねじあげるったって手加減している。
母親は口をとがらせてブラウス。
母親は口をとがらせてブラウス。

母親はお話にならない。

母親になるとは?それは重々了解していることだから、子どもも大げさにあやまるものの、すべてはまあいってみれば、遊びのなかのかかわりですそれが、あるとき、不遇な環境で育ち、親代りの人に育てられたり、児童福祉施設で暮してもいたりして、対人関係にいつも緊張した疑いを抱く習性が、幼いうちからできている子どもと遊んだときにもちろん、ここは、はっきり念を入れて注釈しておきます。施設晷しだとどんな場合も子どもがそうなるなどといっているのではなく、転々と落ち着かない年月のうちに、ある子がそんな緊張を強いられる習性になった、というひとりの子どもの例を、いっているのです、なんだか遊んでいて、びりびりするものを感じたのです。すべて、手ごたえが違う、と思えたのでした。
成長の度合い

先生エッチね

切れた人間関係に慣れてしまうと
心がきーんと緊張した、いわばこちらとの隔たりを用心して抱いている子も、遊びがおもしろくなると、次第にを出しはじめ、冗談のきつい悪ふざけを繰り返すようになったので、こちらがよーし、そんなにするのならといって、子どもの腕を掴まえ、
これでもかと、腕を少しばかりねじあげるふりをすると、なにも本気で痛めつけようとしているものでもないのに、すっかり身を構えてしまって、顔つきが、さっと、もはや遊びじゃなくなってしまったのでした。
こちらを信用し、安心していいのかなあ、と、いわば遊びのなかで許される甘えやれよ、やんなよと、鋭くいうのです。私への安心の色が、目のなかには、残っていなかったので、こちらが、どぎまぎしてしまいました。
あやまらないからな。いくらやられたって、な子どもがはっきりいう以上、こちらもやりはじめたパターンから脱け出せず、つい相手が、本気で痛みに耐えて、歯を喰いしばるので、こちらはもう少し力を強め、これでもかとやらざるを得ない。

学校を選ぶという

子どもだけではありません。

子供の違い

善悪の判断は、多少単絡化していえば、自分と他人との快·不快にかかわることだ、という説明を、常々、至って合理的に、子どもに分かる具体性で、感じとらせてやるべきことだと思うのです。
たとえば、他人のものを盗るのがなぜ悪いか、といえば、盗った側は、労せずしてそのとったものを自分が活用できるので、その分、至ってであるのに、盗られた側がすこぶる不快であるのは、盗った側にとっても、充分想像できる。自分がであることが、同時に、他人にとって確実に不快であると知るとき、自分のは、もうひとつ純なにならないものであって、の裏に、重い影がどうしても残る。の裏に不快がある。
自分のが、同時に他人の
より本当のなのであるのに。
でもあるというときの
は、裏も表も
であり、つまり、こういうことです。
成長の度合い

子供たちとも遊んではいけない

自分が不快で、他人も不快なら、これはまさに不快です。
自分がでも、他人が不快なら、これもやっぱり結局は不快です。
自分が不快なら、他人がでも、これは不快に決まっています。
だから、自分がで、他人もで、これこそ心ゆくまでなのである、と。
こう、教えてやるのは、至って合理的な説明になると思います。
だからこそ、ひとのものを盗る、ということが、結局自分自身にとっても不快この上ないことなので、しない方がだ、と教えるわけです。罰は、いらないのです。
前へ前へと確実に育っていく子、と認める
それと同じで、良いことをほめる、というのも、快·不快でとらえればよいと思います。
よくうちの子は、なんにもほめることがないというお母さんがいますが、それは、なにか特別良いと思うことだけが、ほめるべきことなのだと考えてしまうからですね。
快·不快のとらえ方でいって、自分にとってなことが、他人にとってもだ、というようなことは、日常茶飯に、いくらでもありますね。それを、ひとつひとつだと、互いに確認する。それが、つまりほめるということだと考えておれば、平生の暮しのなかでほめることは、いっぱいです。

 

子どもが明日にのぞん


両親は点数がよければニコニコするでしょう。

「わーツ。おかわり?そう!よかった。カヨコの食べっぷりすごいもの。きょうはうまく料理できたみたい。認めてくれたわけだ、私の料理の腕前を。カヨコの味覚が。ありがとう」
これ、子どもをほめているのですよね。母親が、自分の作った料理を子どもの味覚が認めてくれた。つまり、子どもが親をほめてくれた、という思い。それが、うれしくて、ありがとうと思わず口にしてしまう。親が子どもの存在そのものを、すばらしいと、ほめているのですよ。

まあ、おかわり?おいしいでしょう。でも、カヨコ、こういうときだけご機嫌ね。おいしいものを食べるときは、顔つきまで違うんだから。ほんとうにもう。嫌いなものでも我慢して食べないと、大きくなれないのよ。おかわりもいいけれど、おなかこわしたって、知らないよ。もう自分の思い通りにいかない子を、おいしいと思うと、責めてばかりという、こういういい方ではどうも。

おいしいものはいどこまでも食べるさ。
いらなくなったら、もう食べたくなどこまでも食べたいのに、なくなってしまったらそれでおしまいだし。
中学生を通して圧倒的

子どもたちの将来に役立ちそう自分の作ったものを、と、こんないい方が、子が食べてるのを見るのは、親の最高のしあわせほめるにつながっていきますね
ほら、うっかりしてるから転んだのよ。
泣いたって知らない自分が悪いのでしょ、自分がと、そんないい方をするより、
あー、転んじゃった。泣くだけ泣いたわねぇ。
泣くのだって、これはときに大事な激しい運動。
自分で起きたね。痛かったよね。だのに、一度こうして転んでみると、をつけて歩くようになる!いい経験をしたの。ハルナは私の子!
このガタガタ道を自然と気こういう場合でも、これで、子どもをほめるという気持で、ことばをかけているわけですね。
子供に対して日ごろ
子供に対して日ごろ

育てる資格の無い親だとすら私は思う。

母さんにかまってほしいだけなのです。おまえは、前へ先へと、自分から確実に育っていく子だわ。それを、だれよりも私が自信をもって認めているのよ!と、声をかけることが、ほめることなのですよ。
弱い者いじめ、やめさせたい
ほんとのことはどうしてもいおうとしない
ヒロヤが、よそで弱い者いじめをしている、と耳にしたお母さんは、信じ難く、胸のつまる思いでした。帰って来るのを待ち構えて、ちょっといらっしゃいと引き寄せて、険しい顔で問いただします。外で夢中に走り廻っていた11年生児は、汗だらけの顔で、親を仰ぎ見ます
ヒロちゃん。あんた、弱い者いじめしてるンじゃないの?

ヨワイモノイジメ?どうしたの?

どうしたのじゃないわよ。ヒロヤが、ヨウスケくんを、いつもいじめてるんだって?
「いじめてなんかないよ。ねえママ、アイス。いいでしょアイスは、あと。ちょっとオ、も、いってること、ちゃんと聞きなさい」
「だから、ねえ。アイス。いいでしょいいでしょ。
中学生を通して圧倒的

子どもの世話になることも現実的にはあろう

とってくるよとってくるよとってくる」
なんだか、ズレた気持が、ズレたまま……。
「だめよゥ、だめ。アイスもなにもあげません。ちゃんと話を聞かないんだから。ヨウスケくんを親は腹立ちで声を高めてヒロヤ、ねえ、ヒロツ。
どうして、あんた、いじめるのよ」

いじめてなんかないったら、なかよしみんなしてるったら。だから、アイスウほんとにいじめてないのね
ほんとにいじめてないよ!
ほんとねほんと!ほんとのほんとね
ほんとのほんとだよ、だから、アイスウじゃあ、これからも、いじめたりしないわねうん
うんじゃだめよ、いじめませんっていわなきゃイジメマセン

絶対に?

子どもに強制したことがありません。