子どもに依存性を養います。

母は有名な女子大を出ていて

子どもの人間形成に大きな影響を与えます。
片付けるつもりなら、食べてやる、という反対行動なのですよこういうとき、ける気になって、反抗期の意味のあまり理解できていない親は、子どもの意識に大まじめに働きか「あらら、なんて、キョウイチ、食べないのでしょ。おハシって、なによ。片付けるのよ」
ちょっと、バカにした、上からの優越的なあざ笑いの声でいえば、それにこそ、反対せずにはおれなくなって、せっかくそこに坐っていたキョウイチが、自尊心を傷つけられ、
食べないよう。
食べないンだからな。
絶対食べてやンないからな!
と、もはや恨みの色さえ見せて、すっかり気持がこじれてしまいかねないのですねガチャンと、その辺の倒れやすいものを倒したり、腹いせになにかしないではおれません。

高校に進みました。
それにまた、親がむきになり、どうして、そんなもの、倒すの!?と、訊いてもどうしようもない質問を、幼児に対して発し、親自身も、子に負けないくらい腹が立つのが、だめ。
そんな下手なことにならずに、もっと素直に対してやるのですね。
おハシ、ないじゃないか
ああ、おハシおハツ。はい、おハシ。はい
子どもは引ったくるように、母親の差し出したハシをとり、無言で食べにかかる。
食べたくないときに食べるのは、食べにくいのよと、子の立場をフォローしてやれば食べたいから、食べるソだもンと、まだ、子は、それにも反対しています。

それじゃたくさん食べなさいとはいわないで、「ああ、食べたいのなら、ちょっと量が少なすぎたかな。足りないかも知れないな。

学校でも毎日このくらいの欠席者がいます。

おまえ、おなかがすいてるらしいから。
困ったね」
こんなぐらいだとし
足りないよ、どこまでも、おなかがいっぱいになったら、反対反対。
そこでOK。
とはいいながら、本人は平気平然いうほどには全部食べなくても、
なによ。足りないって。結構残したじゃないのなんて、そこで、親がいうから、それじゃ、もっと食べてやるなんて、いらぬ反発を誘いだしてしまうのです。
そんな反発は、誘いださないで。
反抗期のわがままは終ったか。

手伝ってはくれないでしょ。
ねじくれた性格のせいではない「さあ、じゃあ、食べたあとは、片付け、片付け。
キョウイチは、とてもじゃないが、いいわいいわ」

勉強もお稽古事も競争ではないのです育てた人の書いたもののほうぼくが、片付けるもンまた、これも反対反対ハイ、お茶碗は、そこよ。お皿は、そっちの方
反対反対反対のうちに、ご飯は食べておなかはくちくなって、つっぱりが通りながら、自分から、気持も通じているようで、母さんを手伝ってしまったりして。
すると、テーブルだって、汚くしたら、タメなんだよと、いかつい顔して、食卓を拭いています。
「そのフキン、ちょっと大きいからキョウイチ、うまく拭けないでしょ」
r拭けるもテーブル、大きいから、向う、届かないでしょう
届くもンといって、向うへ廻って椅子に上って、懸命に拭いています。
ああ、キョウイチ、大きくなったんだねえと、感に耐えず、思わずそう声に出すと、椅子の上
フンと、鼻をならしたあと、えいっと、向うの部屋へ遊びに走っていきました。
床にとびおりて、で胸をそらして、も発散しきって、実に大胆風に、心も体我意を通し抜きたい、と頑張るのが、反抗期のあり方なのですねその意味を、あらかじめ、よく理解できていさえすれば、子どもに、反抗期に味わうべき心の充実を、充分に味わわせてやりながら、次の時期へと脱していく子どもの成長を、んと可愛い!と賛嘆しながら、見守っていてやれる、というわけです。

子どもと二人になると何を話したらいいのかわからず

目を細めて、
な反抗期のわがままを、この子のねじくれた性格の故だと曲解し、なんとしても親の力で治しておかないと、一生このねじくれたままでは大変だ、とばかりに、きかなければ痛い目できかそうなどと、親が力んで頑張り過ぎて、そのためにかえって、子どもの心を、ねじくれさせてしまう、などという間違いが、世間には少なくないようですねまた反対に、親が厳しくしゃんとし過ぎていて、子は萎縮して反抗期のないままに育ってしまうのも、思春期以後に、その反動があらわれて、大変なことになったりするものなのです。
わがままが過ぎたらそのあとに必ず反動がくる
わがままを通したい気になったときには、まさにわがままを通すことに、勝利の快感に酔うでしょう。
なんだか、わがままな子は、一心になり、わがままが通ったときには、やったァ
とそれこそ、ひとたびわがままが通ってしまったとなると、なぜだか、やるせないのでところが、すそんなはずのなかった不満感が、人を押しのけて、我意を通して、心に残っているのです。

勉強机とはいえちゃなはずです実際に入っている中身

自分はそれでよしと思うものの、それによって、まわりがなんとなく、こっちを快く思っていない。それが、気にするまいと思っても、気になってしまうからですね。なにもかも、これでよし、という充実の思いが味わえない。いわば、不全感が拭いがたい。
「あんたは、そんな風にわがままを通したのだから、さぞかし気持がいいでしょう。でも、お母さんは、もう、たまらないのだからね。ほんとにもう。そんなに無駄なことで、あんなお金をつかってしまったら、なにもかも計算違いなのよ。ほんとに、よくやってくれるわ」
というような、母親の愚痴を聞かされると、
へへへ、どんなもンだい。

      子ども調査研究所代表の高山英夫さんの随筆
      父親をけなして
      子供は立つ瀬がありません。


育てた人の書いたもののほう 子どもに依存性を養います。 子どもに依存性を養います。